私が過ごした少年時代について

誰にとっても幼少期の思い出というのはそれだけで郷愁を誘うものである。ここに私が過ごした少年時代について記す。

生誕〜幼少期

私が生まれたのは、兵庫県姫路市にあるとある田舎の村であった。当時、すでに交通の便は悪く、バスも通っておらず、近隣に出向くには自家用車が必須の過疎地であった。夏はカエルの合唱が聞こえ、春先や秋口には山から鹿の鳴き声が響く、そんな中での生活であった。

少年時代、世間ではバブル崩壊といったニュースが世間を騒がせていたが、良くも悪くもそんな話題は私が住んでいた村までは大きな影響もなく、比較的穏やかな時代をのびのびと過ごしていた。夏は近くの川や池で魚釣りやザリガニ釣り、水遊びなどに興じ、秋には近くの畑で穫れたさつまいもを焼いて食べ、冬は雪合戦やソリで遊ぶ、そんな時代であった。

ため池や川に誤って足を滑らせ落ちてしまい、びしょ濡れになりながら泣いて帰ったことも一度や二度ではなかった。虫刺されや切り傷、擦り傷もしょっちゅうで、蛇やトカゲに指先を噛まれることもよくあった。虫取りや亀を獲ったり飼ったりするのもよくあり、特に幼い頃は虫や動物をきちんと育てられず、何度も殺してしまう。これは生物の生命力や生きることについて考えさせられる、良いきっかけになったと思っている。今では可能な限り、害虫などの例を除いて生物をむやみに殺生することは避け、人家に出たとしてもできるだけ生かしたまま逃がすようにしている。

さて、田舎は都会に比べて静かだ、という意見もあるが、決してそうとも言い切れない。なぜなら先も言ったように、夏の昼間はセミが鳴き、初夏にはカエルが田んぼで大合唱するのだ。そのため夜であっても静かなわけではなく、時期によっては発情した野良猫や野生の鹿、ドバトといった生物の鳴き声が騒がしい環境であった。

そんな私が住んでいた村の特産品は大きく二つあり、一つ目が手延素麺、二つ目が菊花であった。我が家も例に漏れず、そうめん工場へパートに行き、兼業農家として菊花の生産・出荷に汗を流すのであった。

そうめんは「揖保乃糸」という銘柄で、菊花は「伊勢の菊」として近隣のみならず遠方の他府県まで名が知られる、品質の高いものであった。ただ、菊農家は最盛期で約30軒近くの家が組合に名を連ねていたものの、現在残っているのはわずか数軒である。我が家もその中の一つであるが、やはり少子高齢化の波には勝てず、規模を縮小し、廃業してしまうのも時間の問題であると言っていた。私はぜひこの菊花という素晴らしい銘品を残してもらいたいと思っているが、なかなかうまくいかないのが現状である。

中学生時代

中学校に上がると周囲の友人も増え、交友関係が広がる。ちなみに小学校は全校生徒が百名にも満たない、小規模な学校であった。分校扱いでなかったのが不思議なくらいである。中学校に入ったが田舎らしい閉塞感のある荒廃した学校生活であった。私自身は道を踏み外さずにいたが、周囲ではタバコを吸うものもあり、授業は学級崩壊といって差し支えない状況の時もあった。私自身もあまり真面目な生徒とは言えず、表立って反抗することはないものの、教師の話を聞かず、授業に遅れるようになった。

そんな私の救いが、中学校入学からしばらくして親にねだって買ってもらったパソコンであった。機種はFMVのスリムタイプで、ここから私のパソコン生活・ネット生活が始まることになる。当時歩いて数十メートル程度の距離に住んでいる友人がおり、彼もパソコンに詳しかったのでよくネットを介して遊んでいた。そして、彼から教えてもらったのか、私が知ったのかどちらが先か覚えていないが、MMORPG「リネージュ」を始める。これが私の中学生活、ひいては今後の人生に大きく影響を与えることになるのだが、当時はそんなことを知る由もなく、学校から帰宅後ただひたすらネットゲームで遊ぶ毎日であった。

これもあり、私は勉強もまともにしなくなり、先の授業から大きく遅れ学力が下がる要因の一つになってしまう。もともと勉強が好きではなかった上、この影響でさらに勉強しなくなった私は、高校受験の時期を迎えても相変わらずネットゲームの毎日で、かろうじて公立高校に受かることができ、ほっと胸をなでおろすのであった。高校ではさらにゲームの影響が顕著になるのだが、それは追って記すことにする。かくして私の中学校生活はこうしてネット一色の日々となっていったのである。

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