【書評】沈黙

遠藤周作の名前を知ったのは、この「沈黙」という作品を読んだのが初めてである。当時、私はキリシタンという異教徒として迫害される人たちがどのような苦難に遭っていたかということに興味があった。

そもそも”迫害を受ける異端者”という形式に興味を抱いたのは、ユダヤ教徒として迫害され、彼の地エルサレムから追放される人々のことが頭にあったからだ。それでいわゆる悲劇的な、シオニズムに通じる彼らキリシタンの事柄について興味を持った流れも自然といえよう。

また、作品が映画化されることを聞き、まず原作であるこの小説を読んでおきたい、と感じたのがこの本を読むに至った理由の一つでもある。

作品では長崎に滞在していたオランダ人宣教師の同胞が迫害されているとの報を本国で宣教師の二人が受け取る場面から始まる。彼らがなんとか長崎に赴き、当国のキリシタンたちの助力も得ながら、接触を試みる。だが、キリシタンを異端として処刑する大名に見つかり、彼ら二人も離れ離れになってしまう。

迫害を受けながらも神への信仰を止めない信者たちと、棄捨を迫る日本の大名たちの二立構図で物語は進む。最終的に宣教師がとった行動について、私はどうにか彼が自分の信念を守ることはできなかったのか、と、もやもやした気分を抱えることになった。

が、それは同時に私にとってある種の諦めとして理解できないことでもなかった。自らの信仰を守るがゆえに死ぬことが、果たして望むべきことなのか−それは私にも常に問いかけられるテーマとしてのしかかって来られるように感じた。