祖母の逝去

先日、祖母が亡くなった。

こういうとき、「おばあちゃんは昔から優しくて」という話が定番かもしれないが、正直に告白すると、祖母に対してあまり良い感情はない。小遣いをくれたり、優しくはしてもらっていたけれど、田舎の生まれで昔気質らしい気難しさもあり、幼い頃はそんなに気にはならなかったが、年齢を重ねるごとに嫌っていった。祖母も、歳をとってわがままになっていったのかな、と今になって思う。

大正末期の生まれであったので、もう年齢も年齢だった。最近は体調を崩して入院しているという話を聞いていたので、急で驚きはしたものの、ある程度覚悟はできていた。それに、これでやっと解放される、と少しほっとしたのも事実だった。

だから、あまり悲しいとは思えなかった。私も大人になった。葬儀でも、結局最後まで泣くことはなかったし、それで構わないと思っていた。

だが、出棺の際、泣き崩れる父の姿を目にしたとき、自らの中にある、なんともいえない冷たい感情を強烈に意識した。私は、ああいう風にはなれないかもしれない。肉親ではないにしろ、家族の死に対して、ただ冷静に、客観的に眺めているだけではないか。そう気づいてもまだ、機械的に花を手向けることしかできなかった。

出棺が終わり、移動先の火葬場へと向かう。駐車場からは、まだつぼみの多い桜が見える。私はぼんやりと考える。桜の季節にはこうやって祖母を思い出すのだろうか。もし母が、父が亡くなったとき、私はどう感じるのだろうか。いつかほんとうの悲しみがやってくる日が来るのだろうか。